R8年度は自由な時間がある。
3年続けた仕事を資格取得・スキルアップのために退職したためである。
誰に見せるわけでもなく、自分の考えをまとめるために投稿していきたい。
半年間、ブログを投稿するポテンシャルがあったのにそうしなかったのには理由がある。
言葉は”呪い”であり、”祝福”であるという考えを抱えているからである。
また、その言葉を用いることに苦手意識を持っており、それを残す行為が私には荷が重いと感じてしまったためである。
先日、2歳ごろの男の子と接する機会があった。
私が荷物を移動させていた時に手伝おうとしてくれたのだが、私は「ありがとう。優しいね。」と声をかけてしまった。
何も間違ってはいないのだが、その男の子の環境を考えると”優しい”という呪いや与えた影響に対して後悔が残る。
この時に考えることは男の子の背景と優しい人についてである。
彼の母親とも知り合いでお世辞にも育児に積極的だといえない。
手伝おうではなく、迷惑にならないように・自分に価値を感じてもらおうとする行動だったときにその行動を肯定することは正解だろうか。
そして、優しい人というのも正解なのか疑問を持っている。
優しくない<優しい は多くの人から正しいと思われるだろう。
アイデンティティとして”優しい”を持つ人は自己主張ができなくなってしまったり、行動の選択肢を減らすことに繋がりかねない。
今の私はこの問題に対する答えを持たないが、考え続けるべきだと思っている。
恥ずかしながら、現時点での考えをまとめておくと、
「ほしいものを自分で知っていること」「あるがままを見ること」の2つだと思う。
いざ、自分が子育てをする際にはよく話し合って、幸せな家庭を築きたい。
今日はこんなところで、
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